江戸中後期、初代畳屋文吉がこの四日市で畳屋を始めました。
その後、二代目〜五代目まで「文吉」を襲名し畳屋を営んで参りました。
明治に入り堀木姓を名乗ることになり、六代目 長一より「文吉」名を襲名しなくなりました。
ただ、七代目 晃が屋号「畳文」と初代文吉の名を残すため八代目に貴文という「文」の文字を入れました。
八代目 貴文の二人の子供にも「文」の文字を入れております。
昭和二九年 有限会社堀木畳店として今日まで畳作りをさせて頂いております。
昭和二十年六月十八日、四日市空襲にて古帳消失。
七代目の聞き覚え話による